BACKSTORIES by Tokuhiko Kise
FK SOFA
2000年頃、代官山で偶然出会った料理家ケンタロウ。
その後、紹介してもらった彼の母、カツ代さんに言われた。
「あんたたちは一生の付き合いになるわよ!」
横で見ていたカツ代さんがそう言ってしまうくらい、馬が合った。
ひりんこともそうだったけど、同じくらいに感じた。
全てを説明する必要がない。一言いえば、すぐにその先へいっしょにいける。
3人で昼夜を問わず馬鹿泣き笑いをしながら語り合った。まるで兄弟のように。
出会った時、すでにTRUCKのカタログを持っていたケンタロウは、
TRUCKのLEATHER SOFAをいつか買おうと思っていたらしい。
初めて大阪の店に来た時、そのソファを見て気に入ってくれた。
でもこう言った。
「事務所に置くのにはいいけど、家には違うかも。シャキッとしておくソファでなく、
仕事で疲れて帰ってきて、倒れこみたいようなのが今は欲しい」
よく分かる。パーンと張った革のソファは打ち合わせの方が向くかもしれない。
「じゃあ作ろう、倒れこみたいソファ!」となった。
イメージを積み上げようと、どんなのが欲しいかと聞くと、
例えば、アメリカかどこかの国でアパートでも借りたとして、以前の住人か誰かが
置き去りにしていったようなソファ。
LIFE magazineの中、写真の片隅に写り込んでるようなソファ。
(実際、沢山のバックナンバーをいっしょに紐解いたが、一枚も想像したようなソファの写真は見つからなかった。)
バフッとした座り心地
話していくとキーワードが見えてきた。
○かっこつけてないソファ
○おっさんくさいソファ
○最重要事項はバフッとしていること。
正直、難しい。
形の輪郭のヒントはどこにもない。絵を描くにも描けない。
その答えを探して模索探究が続いた。
街をいっしょに歩いていて、服屋でもレストランでも、そこにあるソファにとにかく座る。
もちろん、通りがかった家具屋でも試してみた。
ケンタロウは座った瞬間に立ち上がり、店を出て行くことが多かった。
どこにも想像する理想のソファはなかった。
そんな中、見えてきたことがあった。
それは奥行きが大事ということ。
奥行きが浅いのは論外、かといって海外の立派なソファのように深ければいいというのでもない。
浮かび上がった素材、フェザー。当時はまだ使ったことがなかった。
フェザーをクッションに使ったソファも座ってみたが、それらは自分たちの思うバフッとは程遠かった。
フェザーさえ使えばいいってことでもなかった。
クッションを作ってみて中身の配分や量を何度も変更していく。
おっさんキーワードからは太畝のコーデュロイを思いつき、機屋さんで作ってもらった。
当時、コーデュロイのソファなんてどこにも見たことなかったけど、
おっさんがコール天(始めは3人とも、あえてコール天と呼んでいた)のズボンを履いてそうだったから。
その後、何度も試作をした。
ケンタロウが大阪に来たら、たとえ夜中でも座ってみて実験を重ねた。それが一年以上続く。
料理という別の世界で生きているのに、ものづくりへの熱さは同じだった。楽しかった。
ようやくその時がきた。
見ただけで出来たと思った。
そして座る。
思わず笑った。「これこれ!これやん求めてきたのは!」
東京からすっとんで来たケンタロウも「来たなぁ!これや!」と大喜び。自分たちの功績を称えあった。
ふかふかということと、For Kentaroとから、FK SOFAと名付けた。
正直、これが売れるとは思っていなかった。
どうみてもサイズが大きい。日本の家には難しいかも。
でも、自分たちで喜んでるだけで最高だった。
TRUCKに展示して、お客さんが座る。その瞬間の表情を見て満足していた。
嬉しそうな顔のお客さんに「いいでしょう!」と声を掛けるだけで、最高に楽しかった。
それがいつしか一番人気の商品になっていった。
こんな使い方もある。
背もたれのクッションの向きを変え、肘掛に沿わせていい角度で置く。
するとシングルベッドのような寝床ができる。
片側はふわっと枕として、もうひとつは脚を載せてもいい。
ケンタロウの家に泊まる時は、いつもこのFKベッドで寝た。
15年経った今でも同じ気持ちで、座ろうとするお客さんの顔を見てしまう。
展示のFK、肘掛のよく触る辺りのコーデュロイの畝は細くなって、まるで古着みたい。
あのころ話していた、誰かが置き去りにしたようなソファに見える気がする。